「光を与える神」   01.21.09   イザヤ9:1〜6,ヨハネ1:4〜5

 クリスマスの出来事を預言するイザヤ書は、
<万軍の主
(しゅ)の熱心がこれをなしとげる。>と言います。
神の熱心、熱意、憤りとも訳される、神の激しい思いです。
この神の熱意がなければ、クリスマスは起きません。

 クリスマスは、神が大切な独り子を手放された日です。
しかも、人の救いのために十字架で死なせるためです。
むごい惨めな十字架へと進ませるためにクリスマスは起こりました。
ちょっとやそっとの思いや、ましてや思い付きで起こったようなことでは
ないのです。
 私たちの想像を越えた、主(神)の熱意が込められています。
その主の思いを知ることなくして、クリスマスを祝うことはできません。
のんきに騒いでいる世のクリスマスは、主の熱心に対して失礼でありましょう。
 主(神)は、闇の中の民、そして死の陰の地に住む者に光をどうしても与え
たいと願われました。

 イザヤの時代、強国に翻弄されるようにして国が滅びます。
強国の略奪と暴力が襲いかかってきた闇の時代です。
同時に、そこには神に信頼し従うことのできないイスラエルの罪もありました。
神を見失い、闇は深まるばかりです。周りの人間の罪、そして自らの罪が絡み合って
闇を深めていきます。戦争の中で死も迫ってきます。この死の陰は、人間である以上、
だれも逃れることのできないことです。アダム以降の人間は、その死に罪が深く係って
いると聖書は告げます。

 神は、人がこの闇、死の陰に覆われていることに耐えられないのです。
そのままでは滅びに進むしかないからです。神は、人以上に滅びの厳しさを知って
おられます。
 罪のもたらす滅び、罪の悪循環による闇の深さを知っておられます。
 だから、なんとしてでも救いたいと願ってくださいました。滅びや罪のもたらす闇が、
どうってことないのであれば、あえてクリスマスを起こされることはなかったでしょう。

 クリスマスによって、罪と死の厳しさを思い起こします。
 しかしそれ以上に、そんな私たちを救うために御子を与えてくださる神の愛を
思い知らされます。